感謝
突然ですが皆さん
日頃から「感謝」してますか?
毎日の食事、帰ってくると乾いてる洗濯物、掃除が行き届いている家。
2020/6/9、僕のお母さんが50際の誕生日を迎えました。
陰口叩き陰キャ障害リテラシー皆無オタクの僕がただ1つ誇れるものが自分の母なのですが、今日は僕と母との思い出を語っていきたいと思います。
2002年3月3日、僕は千葉県浦安市の病院で産まれました。
ひな祭りに産まれた僕は長男だったこともあり
「きっとこの子はいい子になるぞ!」
と太鼓判を押されて育てられました。
まあ将来オンライン授業を裸で受けた挙句、カメラonになっていた系の男になってしまうんですが
太鼓判を押された、と言っても高橋の人間は口ばかりでほとんどの世話は僕の母親がやってくれたらしいです。
「家に遊びに来て騒いでかえって行くだけでなんの得にもならなかったね…」
と、昔から愚痴を聞かされてました。
僕の母親はとても育児に真剣だったらしくて、僕がたまたま再放送で見た「ウルトラマンティガ」にハマった時は、自分のギターとゲームを全て売ってまでしてウルトラマンのビデオを買い揃えてくれました。
また、週に三回は僕を自転車の後ろに乗せて千葉県のあらゆる所に遊びに連れてってくれました。六年間しかいなかった千葉県が恋しい故郷になったのは僕の母親のおかげです。
舞浜や新浦安、南行徳や原木中山などのスポットにチャリンコで向かう、しかも子供を乗せて週3回。なかなかできる事じゃないと思います。
普通に遠いところと遠いところ結んだら11kmとかになるんすよね、やばすぎでしょ
しかも、僕は幼稚園に入る前から足し引きの計算や時計の見方などのことを既に教わっていました。他でもない母からです。
母親がトーマス・エジソンの伝記を小さい時読んで(自分の息子に私もこうしたいわ!)と思ったらしいです。週三で遊んだり色々エネルギッシュすぎますね。。。
話は変わるんですが、僕の両親は互いにメビウスライトの愛煙家で僕の家はいつもこのタバコの匂いがしてました。
(母はボックスを、父はソフトを吸ってました)
クソ狭い社員用団地でミフィマルGTはYUKIをラジカセで流しながらタバコの匂いを嗅ぐのが実は好きだったです。幼稚園生にもなってないガキの趣向ではない。
ちょろっとネットで調べたところ、3〜4歳の時に聞いた音楽って将来的な趣味になりやすいらしいですね。僕はミフィマルGTやYUKIの歌詞がとてもキャッチーで好きなんですよね、今でもたまに昼下がりに聞くとなかなかに雰囲気良くて気持ちよくなるんすよね…
このアルバム、僕の両親がこの頃聞いてた曲がめちゃくちゃ詰まってるらしく今僕の家の車ではずっと流れてます。
00〜02世代のオタククンはお父さんお母さんにプレゼントしてみると喜ばれるかも?
それからなんやかんやあり僕が生まれて6年たって、浦安から江戸川区に引っ越した後、父親が突如タバコをやめ、そこから今に続く父親の糖質症状が出始めました。
父親が小学三年生の僕にグラスを投げつけたり硬式ボールを投げつけたりしてきても母は身を呈して僕を庇ってくれました。
「あんなやつ、死んじゃえばいいのに!お母さんに手を上げるなんて!」なんて言っても「私が選んだ人だから、悪口言うのはやめて」と言います。僕の母は絶対に身内に対しての暴言を嫌うのです。
お母さんのお母さん(つまり僕の祖母)も若い頃離婚して1人で家計を切り盛りする中で自分がはけ口になってた過去があってからなのか、僕のお母さんは身内の悪口だけは絶対に言わないのです。
10歳の頃、母が1度だけ自分の過去を話してくれたのをよく覚えています。
両親と兄貴と四人家族だったが小学生の時に離婚したあと転勤族になったこと、母のお兄ちゃんはどこに行ってもガキ大将を張れるリーダーシップと優しさがあって自分の憧れ兼頼りになる人だったこと、非行に走ったこともあったがその時に実の母親が2日寝ずに帰りを待ってくれて実はずっと愛してくれていたことを知り泣いたこと。
どれも衝撃的で話を聞きながら「母は偉大なんだなぁ」と心の中で思いました。
最近、やっと時間が空いてきたからと言って売ってしまったギターと同じ型のものを買い直して練習してる母を見てるといかに自分がたくさん迷惑をかけてしまったかが染みて辛いです。
時間をけずってまで水泳教室に送り迎えしてくれたり、野球から帰ってきたズボンや靴下を文句も言わずに洗濯したり、クソ暑い日差しの中僕がでてない試合でも応援しに来てくれたり。
そんな母に僕は18年間生きてて初めてプレゼントを買いました。
渡したら「え!?こんなのくれるの!?!?」ととても喜んでくれて嬉しかったです。ずっと前からドラクエ7の3ds版がやりたいと言っていたのでちょうどいいかなと思い渡したのですが喜んでもらえて良かったです。
やっぱり感謝って自発的にしないと本当の感謝では無いんだなぁと思いました。僕の父親は「毎日お前らの飯を食わせてやってる俺に感謝しろ!」という人間なので、僕はどうやってでも高専を卒業したら家を出ていくつもりです。
あと約3年間、育ててもらった恩を少しでも返せるように頑張っていきたいなと思った一日でした。
お母さん、ありがとう。
↑
浦安から引越しする寸前のヲレ(多分6歳)